昭和42年11月25日 朝の御理解
今日の夕方から若先生が御本部参拝を。今度本部で入殿がございます。 今度の入殿は本気でさせて頂かねばならん。 教官を始め、えらい先生方、「?????????????????????????????????????????????????????????????????(音声不良の為わかりません)?????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????」
そしたら、この度の入殿。 本当に信心の「 」信心共励が中心になって、その何を一つの中心にして中心にしておるのかという事を、先生のお話を頂いて、その話を中心にして今度の入殿の共励の目標にしたいという事を書いてあるんです「????????????????」入殿があった一番にその、発表、お話をしなければならない。そしてその、お話も、現在あなたが問題としておられるところ。現在あなたが悩みにしておるところ、いうところの手持との所はどうやっておるかという所を焦点にしてお話をして頂きたいという事が書いてございました。
「 」どういう事になるでしょうか。これが例えば皆さんの場合だったら。 何が問題になったか。 この問題を通して、この信心はどうなってるのかと。 この問題を取り組んでおるのどういう風に取り組んでおるか。 ね、例えて、まあ例を申しますなら、「 」犬畜生という、その現在の問題は何かと、悩みは何かと。そのそれこそもう、だいたい普通焦点で間に合うだけの事じゃないその信心ですから「????????????????????」。 もう先日からその、「??????????????????????????」良いかとこう、もうそれが悩みの種なんですね。
ですから、これはもう今の内に断っとかなければ、どうにでも手が付けられんようになるからと。 けれども、せっかく神様がして下さったんだから、それを受けられた「 」と言うて、まあ私はそれを断ろうと思いますけれども、まあ言わない中にだんだんそれが「 」なって行きよると。まあだまだその大変らしい、毎日のお届けがこうある訳なんです。それなんかは、一つの問題なんです。
まぁ言うならば嬉しいひれいではあるけれども問題なんです。 だから、とても「 」に一万なら一万しか出来んから、もう一万で売ってしもうたら、週にどのくらいの迷惑掛けなんか分からん。 今まで「 」を頼りにしておったお宅がどのくらいあの、迷惑かけなければなるか分からない。 けれどもならそれを、その問題とをです、信者さんはどう取り組んでおるかという事です。 ただ毎朝お参りをしてお願いをしておるだけでは、いけんじゃないかということ。
ね、悩みと言やあそれぞれに悩みというのがあるといたしましょうか、「 」という悩みがある。 体が弱いなら体が弱いという悩みがある、ね。 その悩みの、があるその悩みを通して自分の手元のところはどうなっておるかと、信心の一つ問題を、問題として今度の入殿の共例の焦点にしたいと。 ですから、よろしくお願いいたしますという風に書きつけてある。 ところが、その肝心要の勝彦の場合にその悩みがない訳がなんです。
ね、問題がない訳なんです。 ただ、問題がない訳ではないでしょう。けれども親先生のところ持って問題その場で解決するんです。 難儀があってもお取次ぎを頂いたら「 」ですから、僕はどう言うてお話すりゃ分からんという訳ですよね。 ね、例えば問題と言うてもそういうように、ちゃんと何ヶ月がかりでその問題を処理して行かなければならんという「 」ならまだいいですけれど、突発的な問題があるんですね、お互いが。
いわば不意打ち的な問題が起きてくるんです。 私はね、信心させて頂いておかげ受ける、受けなければならない事なんですね。 そこのところの頂き方、そこんところの取り組み方、いかんによって信心が成長もすりゃ、おかげにもなりゃ、またはそれがそのまま徳になるといったようなものであるということ。
問題の性質というものはですね、そういう様々な内容を持ってるんです。その問題のためにその人が挫折したり、その問題の為にです、ね、を、おかげにしていくというだけの人、ね。 その問題のです、ね、いよいよ信心を深めていく事の材料にしたり、それがそのまま即、徳に力にして行くという生き方があるんです。
昨日は、北野の共励会で出て参りましたから、最近、朝倉の方達が大変こう入って、昨日も思いがけない5~6人の人達が、「????????????????????????????????????????????????????????????????????????(音声不良の為、聞き取れません)??????????????????????????????????????????????????????」何とはなしに、まあ生き生きしておられる。
とにかくその、もう一つですけども、とにかく信心の共励がですね、ただ言えるのはやっぱり言って「 」だけといったようなものじゃなくて、息子も娘も、ね、宗教に出てくるというようなものでなかなければ、いけないと思うですね。 そして、そこにあるお互いの例えば問題を提起して、そしてそれを「 」といったような「 」が研かなければならないと思うんですが。
とにかくその、「 」。それと夕べはまた、私のあの、願いの研修を学院生の方達が、録音、私の「 」の録音をしたいという、この次に聞かせてもらうと、「 」という、あれが出ておりますでしょうが、あれの「 」の録音をやっております。それでそれを終わらせて頂いてから、今の話「 」。もう私「 」もうずいぶん、もう寝る時間がないというぐらいな時間でございました。
その時その事を「 」てから、その、どういうお話をしたら良いか。ほれで、本部うけのするようなお話にするか、それとも合楽での在り方をお話、やっぱりあの、御本部の、教団の、教団うけする、ね、例えば一般うけするお話と、例えば、ならここで私と話して皆さんが大体わかって下さるんですけど、私の話を信徒会長なら信徒会長とお話したっちゃ、ピンと来んのですよ。
「 」馬鹿じゃなかじゃろうかち言うごたる風にしか聞こえんです。「 」の違ったところがお話に出てくるんですね。「 」ここの人はそれどころじゃないと頂いてますけども。 ですから、一般うけのする為などに一般うけをするようなお話にならなければならない。けれども、これは中々難しいですね。やはりそげん何時もが精一杯なものでなからなければ、やはり出来ない。 ね、まぁ教団うけのするお話するか、合楽のその、流のお話をするかという事を、やっぱり本当の事を分かって「 」、しかも何日間かかってですかね、今度5日間か「 」あるでしょう。
そのやはりもう、その例えばお話をするならそのお話がです、毎日毎日検討される。ね、そこにどうでも私の信心、合楽の在り方というものが出てくるから、その中途半端な事で、もうほんな事言うといて分からんでも良いからそれを5日、6日間で分からせるいわばそうしたシステムというものを、があの、必要であるという訳なんです。
言いよる時その、ここで拝ませて頂いておりましたら段々お知らせに頂きます事がです、ね。ここには月次さいたんびんに鯉を頂きます。ですからあの鯉が何時も泳がしてある訳なんですね。2~3匹、多い時には5匹も6匹も泳いでる訳なんです。その状態を頂くんですね。初めにはほんに、その、ふだんそうとお神酒徳利を頂きました、御神眼に。だから結局その普段の信心、ね、常日頃の信心。
しかしお神酒徳利という事はもう、日頃の信心の焦点てどこに置いておるかと言うとですね、とにかくありがたき、勿体無き、恐れ多きであって、ありがたくならせて頂く為のけいこを普段のしっかりとしていく。アンタがた何の為にけいこしておるか、こればお願いする為の思いじゃなくてですね、普段の時にしっかり信心のけいこをしておくのがです、いよいよ、ありがたき、勿体無き、恐れ多きのお徳を受けさせて頂く為の信心。
先の事がありがたいと受けられるけいこをしっかりしておけという事です。 「 」頂くのがその、鯉を頂く。 それをこうやってあらいか何かにしておるような状態を頂くんです。私の方ではもう「 」たくさんあるから、何時どのようなお客さんが来たっちゃ、お酒は、さぁ一つお酒屋に走れという事はいらん。甘い物の時にはやはりお下がりのようかんなり、カステラなり、何かまぁ言うなら洋菓子がいつもお客様の為にじゅんびがしてある。
お茶はもちろ最高のお茶が用意してあるからいつも慌てる事はいらん。これはもう余談ですけど、この頃、信心共励会の時に東町の田中先生が、「 」がいっぱいにその時、気分の悪かったらしいですね。ですから、その豊美、豊ちゃんはとにかくその、何て言うんですか、紅茶にウイスキーを入れてきてくれんの。なんかですね、どうでしょう、その時に紅茶ば買いに行ったらありませんち言わにゃならんじゃった、もう困る。はあ美味しか、こげんお酒ありませんよち言うことになってくる。ところが、さあ紅茶「 」。慌てることがいらん。
いや、あの、そのままお店行かなんとならブランデーがありますというような風でです、またそれから、まあい1~2杯大きなとで頂かれたんです。それでまあ、ぽーっとされて気分が良くなられたという訳なんですがね。あの時お話しておられましたね。というように、とっさに、さあ何がいると言うても何かそれに間に合う準備が出けておるということ。さあこれに、さあちょいとお客さんがあるから、さあお酒の事をとこう言うても、ひとつタラッちいう間に合わんです。
そこで、一つその時には何時もここでは、だから鯉の荒いと鯉こくを作る。最初は「 」、ね。これは何時、なら不意の来客があっても、それだけの事が出来るという事の、はあそれから私思ってから、はあ本当そうだなあ、どのような突発的な問題が起きても、ね、自分の準備さえ出来ときゃ問題はないです、ない事はない、ある。悩みがない事はない、ある。ね、また、ならこれから先も何時どういう突発的な問題が起きらんとも限らんのだ、ね。
その問題がです、「はいどうぞ」と言わんばっかりにその、出来て行っておるのにです、「 」、そういう例えば、例えば勝彦言うところにですね、家の親先生の場合はどのような問題があっても、親先生の場合それが一つも問題ではない。それはアンタおかげじゃないの。日頃の信心はどうしとるのと、それだけ言われたら、はあほんとそうでしたと、ここの辺はだいたいは。ね、さあ、それはどうすんのと言うて、私が慌てんで済むんです、ね。
だからそういう、例えば信心はどういう生き方から、信心から生まれてくるという事を問題にして、日々信心のけいこをしておるんだというような事を、まあお話させて頂いたあと、申しましたことでございます。いつものようにですね、問題はない。教団でこれはもう、口を開けば言いよる事は、問題の性質をよく見て問題を、問題を問題としてと。例えばなら、お取次ぎ成就信心生活運動の要目にもそれがございましょう。あれが今の教団の一つの要目なんです。
ところがここの場合は、あれがあんまりピンと来ない訳なんですね。問題の性質を一つ良く見るとじゃなくて、もし困った難儀だと言う時には、問題の性質を良く見るとじゃなからにゃアンタの心の方に先に見らんの、というのが私の生き方です。ね、だから問題に向きを替えるのではなくてです、教団ではそれをハッキリそれを言っとる。問題に向きを替えると、難儀に向きを替えるということ。
それをまともから受けて行けとこう言うのが、教団の今の生き方なんです。私の場合は、問題にゃ、いわば目もくれない、ね。とっさの場合でもです、パッと自分の方へ持ってくる。だから私が今申しますように、「 」問題もです、ただお取次ぎをお願いをするというだけではなくてです、お取次ぎを願うたら、お取次ぎを頂いて帰りよるかどうかという事。お取次ぎを願うだけで、お取次ぎを頂いて帰っておるかという事。
お取次ぎを願うだけで、お取次ぎを頂いて帰っておるかどうか。そこには度胸も出来りりゃ安心もできる。もうこれなんかはちょっとした問題じゃございませんけどもです。もうそのささいな事にでもパッとするようなものを、こちらが感じれるということ。昨日、私が、文男先生が送ってくれました。終日御用があったんですけども、先生が言う時の、今度の12月の18日が報徳祭、四神様のお祭り。その幟が出来、幟ってのはこう、まあ言うなら染めの字でその、出来る訳ですね。表のあの立て看板ですね、金光教合楽教会、あれにこう布がこう下がる訳、両面に。ご大祭の掲示をする為に。
それをその、揃わなならんから昨日頼んで来ましたとこう言う訳なんですね、昨日の夜に甘木に。そしたらその甘木の注文屋曰く、その合楽の教会っちゃ、まあだ屋移りはしちゃなかってすかっち。なしやちいうたところが何時通ったっちゃあそこは空家のごつしとるけんで、あの、まだ移ってないとでしょっちこういう、そんなことあるもんか、3月1日 。ほお、そげなんこってすか、何時通ったっちゃあそこは、いつもだーれん人も見えんし、あの、私はまだ、家は出来とるばってん、中か何か出来とらんか何かで移ちゃなかっちゃろうち思いよったちこげん言いなさるんです。
それで私に何げなしに話すわけなんです。ところがこういう事は私にとって大変な問題なんです、言うなら。もうだから、私はほんなこてハッと思うようにそれは、私はその思うたんですね。けれどもその問題にする暇のないぐらいに私の心の中に響いて来るものはです、本当にそうだろうな。例えば私共どこの教会に参りましても、昨日鳥栖「 」参りましたら、開教式みんながここにおかげ頂いてある。もうあそこにおる皆さんのこれは全部ていう人がこの前ここにおかげを頂いてある。
もう皆が、先日は大変お世話になりました。もう本当に隅から隅まで見せてもらいましたが、大したお広前が出来られました。ほんなこて、日本一のお広前でございますという風に言われるもんじゃから、「 」ちゃんと思い込んでしまう。なるほど、ご造営、お広前はそうかも知れんけれども、その中が何時の間にかがらんどうのごたる感じになってきよるということ、ね。午前中こそ、まあ沢山こうやってお参りありますけれども、やっぱ午後ともなるとやっぱり閑散です。修行生がいて集まってる訳でもない。誰も、なら参道を通っておる者もない時にもし通り合わせたら、やはりなるほど、ここは空家じゃなかじゃろうかという風に見えたんだろうと、こう思うです。
はあ大変な事だ、ていう時に私どもの前を自動車が、いわゆる合楽行きのバスがこう通ってる訳です、誰も乗っとらん。「 」合楽行きのバスに。そしてあの合楽行きのバスがです、いつも満員。そしてそれは皆金光様の中へ、あの参道へ吸い込まれるようにして入ってというようなですね、おかげを受けなければ本当に相済まんなあとこう思うた。ね、為には、んなら私どういう信心させて頂いたら良いかという事、そこが問題です、私には。
だから、もうそのような問題も、私にはそれが問題であるから、為にはどういう修行させて頂く事かということがまた問題になってくる、ね。何とかお参りが多いなるごとする具体的な方法を考えなん。はあ神伝「 」ていうか、もう私はもうそげな事はいっちょん思わんですがね。あなた方から見てもらわんでいい、神様から見てもらえばいい。貴女方一人ひとり本当におかげを受けたらです、もう言わにゃおられん、話さずにおられん。
ね、そのおかげを頂くためには、問題は私の信心がもっとより行動する以外にはないでしょうが。だから結局、問題は問題じゃなくて、問題は私の信心という事になるのです。問題はなくなる、ね。多くの、先生さあどうしましょうかと言った時には私には一つも問題ないけども、そういう文雄さんも何気なしに言うたそういうような言葉がです、私には問題です。その問題を聞いた次の瞬間には、もうそれは問題じゃなくて私のちゃんとした次の信心にならせて頂いておるという事、ね。
どうでも一つ皆さんおかげを頂かないといけませんね。いつどのような不意の来客がありましてもです、ね。さあ、ジタバタせんで済むごたる、ね、常平生にただお参り信心、ただ御利益信心から脱却して、ね。本気で常日頃の何でもない時にです、いよいよありがたくならせて頂くけいこの為の信心がなされておって、甘い物も辛い物もちゃんと蓄えが出来ておるようなおかげを頂かなければ、さあ不意の来客にジタバタして、いわばあっち走りこっち走りにならなならんのです。
ね、だからそういうおかげを常日頃に頂いておかなければならないという事を、今日・・・?ご本部行きの事についてからその事を感じる、その事を頂きます。そうして、ね、その時に慌てんで済むだけの信心を皆共々に頂いて参りたいと思います。常平生の信心がいかに大事か、その常日頃の信心が神徳にどの程度にモノを言うか。ね、おかげにしていくという程度にか、さあどうしようかとそれから挫折するような程度の信心か。その受け方がです、それこそ素晴らしい受け方が出来て、そのまま徳になり力になるような受け方が出来る。その受け方にでも、ね、そこのところを一つやはり焦点にしての信心にならせて頂く事ですね、どうぞ。